松本城の赤い橋を今後どうするのか聞いてみました
こんばんは、最年少松本市議会議員の青木たかしです。
今日は教育民生委員会(教育民生委員会の副委員長に内定されました)の協議会があり、担当する部署の概要説明を受けました。
その中で、先日の記事(松本城の赤い橋はどうして渡れない?)の内容が気になっていたので、この埋橋を撤去するのか、渡れるようにするのか、今後の方針について市に聞いてみました。
平成11年策定の「松本城及びその周辺整備計画」の中では
”・・・訪れる人々に親しまれてはいるが、北面からみた天守に美観を添え、また導線を考慮して架橋されたものであって、資料的根拠がなく松本城に相応しいものではない”
”埋の橋を撤去し、資料に基づく「足駄塀」を復元し、旧状にもどす”
と記載があります。
ここには元々「足駄塀」が埋門(埋橋を渡って城内に入る門)まで架けられていたようですね。
しかし、昭和の天守大改修のときに、当時の松本市議会でここに橋をかけようという話題が「急に盛り上がり」(資料原文)、昭和30年9月末に橋が完成、埋門にちなんで「埋橋」と命名された、とあります。
その後、平成23年6月30日の松本地震でこの埋門の石垣が崩れたため、それから閉鎖をしました。
埋橋自体の強度の問題もあったため、埋門改修後の現在も、黒門の入り口に城内への導線を一本化しています。
このときに、地元からは、「観光客の市街地への回遊性」という観点では「黒門一本化」の方がいいということで、このまま継続してほしいとの要望が出されているようです。
これらのことから、文化財的価値がないため、この橋の存在は市で取り組んでいる「世界遺産登録」にも支障をきたすと考えられます。
一方、市民や観光客からも馴染みある定番の橋となっており、昭和30年から考えると、「埋橋には60年の歴史がある」とも言えそうです。
このように考えるべき課題が多く、今後の扱いについては「検討課題としたい」との答弁でしたので、「世界遺産登録の関係を含め、事実関係や検討課題を整理してほしい」と意見しました。
一度通れるように補修すれば、そこにかけた多額の経費を考えると撤去するわけにはいかなくなるでしょう。
これまで松本の先人たちが守ってきた松本城ですから、「この橋をどうするか」、「松本城をどう残していくか」は松本に暮らす私たちもじっくり考える必要がありそうです。
それでは今日はこの辺で。
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